itinerary tour in 海士町 レポート4~渡辺麻由さん

itinerary tour in 海士町 レポート4~渡辺麻由さん

この記事は、海士町に興味がある人はもちろんのこと、こんな人におすすめ!
① 教育に関わりたい人
② ボランティア、社会貢献が好きな人
③ 都会にいながら地方が気になる人

 

こんな流れで書いていきます。
1. わたしが海士町に行った目的
2. 海士町に行った目的に対して感じたこと
3. 一つひとつをご紹介!
4. まとめ

【1. わたしが海士町に行った目的】

① 学校がオープンになり、子ども・先生・保護者・企業・OBOGが互いに学び合う教育(社会に開かれた教育)の作り方を知ること。
② ビジネス(利益追求)とボランティア(社会貢献)って共存するのか?という問いを考えること。
③ そもそも、私はどこで暮らしたいのか?何を大事に生きたいのか?非日常から自分を見つめ直すこと。

 

 

 

 

【2. 海士町に行った目的に対して感じたこと】

2-1. 「誰のための教育なのか」が常に念頭に置かれ、個々の専門分野をもっている人たちが、互いの役割(強み)を把握し分担している組織の存在がある。
2-2. ビジネス(利益追求)とボランティア(社会貢献)は、共存する。島全体がチームとなり、島の生き方をデザインしているからこそ、主体・客体、提供側・享受側が見えやすい。私の日常は、それがいつの間にか見えにくくなってしまっていたことに気づいた。
2-3. 非日常を入れることでの気づきや刺激は大きい。でも、結局は「ないものねだり」かと。

 

 

 

【3. 一つひとつをご紹介!】

2-1. 「誰のための教育なのか」が常に念頭に置かれ、個々の専門分野をもっている人たちが、互いの役割(強み)を把握し分担している組織の存在がある。

お伺いしたのは、学習センター。島根では、教育魅力化プロジェクトが進んでいる。これからの取り組みとしては、島根県内で行ってきた魅力化プロジェクトを、ネパールでも展開し、世界に広げること。JICAとの連携で進められている。

 

 

学習センターは、「公設民営方式(町が作り、民間による運営)」で、魅力化財団が運営している、高校生のための学習施設。コンセプトとしては、授業そのものや教科内容の勉強は高校で行うが、学習センターでは、スケジューリングや入試に向けてのペース配分など、物事の進め方・スタンス・考え方を扱う。料金は、高校1,2年生が週2回で10,000円/月、高校3年生が週5回で12,000円/月。都会にある塾と比べると雲泥の差だ。

 

 

魅力化プロジェクトの一環で、もちろん高校の先生との密な連携がとられている。学習センターのスタッフには高校魅力化コーディネーターの役目が与えられていて、彼らの席は学校にあり、進路指導部にも入り、週1,2回のミーティングで生徒の情報をこまめに共有する。一面的な見方ではなく、役割を設けたうえで多面的に生徒を見ることができ、生徒も教師も安心できる。
また、直接的かつ間接的な生徒同士の交流もある。学習センター内には、本棚があり、卒業生が自分が使ってよかったと思う参考書、本が並べられているのだ。海士町には「シェアの文化」が根付いていると感じた。自分が良いと思うことを人に勧める、もしくは、自分にとってはもう不要なものをだれかの必要なものとする、そんな考え方がある。
ただし、学習センターが機能するまでには苦労があったと話されていたのは、学習センター長の豊田さん。10年前に海士町に移住された。

 

 

当初、行政からのリクエストは、「大学進学率をあげること」。設立当初は、大学進学率はわずか10%。大学進学率が、生徒たち一人ひとりにとって重要な要素なのかどうかの議論はないままに、世間一般的に言われる大学進学率が重視されていた。疑いはありながらも、まずは行政の理解を得るために、保護者の理解を得るために、大学進学率の引き上げに取り組んだ。結果として、島根の4年制大学への進学率が4割(隠岐島前高校については50%)まで引き上げることができた。それにより、学習センターが生徒を育てる受け皿になるようになった。いちばん近い都市である島根県松江市に流れてしまっていた中学生が、隠岐島前高校に来るようにもなった。
大学に進学することが、生徒が望み納得しているのであれば、それを支援したい。ただ、もっと生徒の心の奥と未来にある想いを汲み取ることを学習センターでは大事にしている。それができるのが、「志を語る場」。「自分はどうありたいのか」「どうしてそう思ったのか」のキャッチボールが繰り返される。海士町では、一次会がごはんなら、二次会はスナックに行くことが多いので、大人の語る場としても使われることがあるそう。
今では、自分の考えを自分の言葉で話せるようになったり、ディスカッションに慣れていたり、実践する中での学びがあることを実感していたり、抽象的ではあるが、子どもがイキイキとしていく、変わっていく光景がそこにはあるという。

 

2-2. ビジネス(利益追求)とボランティア(社会貢献)は、共存する。島全体がチームとなり、島の生き方をデザインしているからこそ、主体・客体、提供側・享受側が見えやすい。私の日常は、それがいつの間にか見えにくくなってしまっていたことに気づいた。

「ビジネスとの違いは、島だと変化がわかる。手応えがある。」。
「不必要な広告・宣伝をしない。本当に必要なことは、島の人たちがすべて伝えてくれる。」。
それぞれ、学習センター長の豊田さん、「島のほけんしつ」の島根さんの言葉だ。

 

 
「島のほけんしつ」とは、セラピストの島根さんが運営されている施設で、病気の予防・緩和をしたり、“ほけんしつ”という通りなんでも話せる場所になったりしている。島根さんも移住組だが、きっかけは町の姿が変わってきたことだと話す。ご両親が海士町出身であり、何度か訪れてはいたものの、若者の移住も増えてきていた。島だからこそ、コンパクトで人が繋がりやすく協力しやすい反面、仕事とプライベートの境目がなくなりがちで、実は抱え込んでしまう人がいるという課題に何度か直面した。セラピストと仕事を、兵庫で両立しながらセラピストをされていた島根さんは、海士町にもセラピスト、心のカウンセラーが必要だと気づき、移住を決めた。

 

 

町でどんなことが起きているのか、ほけんしつに来られた方がどんなことをされているのか、知っているからこそ話をわかってあげられる。「話をわかってもらえて気持ちが軽くなった」と、セラピーの効果を感じてもらえれば、島に必要なことだと思われ、口コミ紹介の力で広まる。ボランティアだけでなく、ビジネスだってもちろん社会貢献。誰のどんな課題を解決しようとしているのかを意識すること、その重要性に改めて気づかされた。

 

2-3. 非日常を入れることでの気づきや刺激は大きい。でも、結局は「ないものねだり」かと。

訪れたのは、あまマーレというコミュニティスペース。町の人たちが海士で暮らす楽しみが広がっていくことを目指して、町のみんなの「やりたい!」を実現できるように企画からお手伝いしたり、イベントを企画し実施したりする場所。海士町民2,400人は、ほとんどが顔見知りではあるものの、UIターンにより知らない人も増えたことがきっかけだったそう。
ここにもあったのは、「シェアの文化」。「誰かのいらないものは、他の人にとって必要なもの」という考え方で、食器や服、雑貨などが所狭しと並べられていた。民泊やカーシェアなどのビジネスが展開されているが、もっと身近なシェアリングエコノミーってあるはずだよなと気づく。

 

 

また、あまマーレのスタッフの方が、海士町で暮らす魅力をお話しくださった。

 

 

「明屋海岸の夕日がとってもきれい。灯台もあり、壮大な景色がすてき。」
「お店は19時に閉まる、日曜はお休みなので、自炊する力が必要。」
「夜は、ひたすらスナックに行って飲み合う、語り合う。」

 

 

大自然に囲まれて生かされ、個の人間が人間であれて、かつ、人間同士が関わり合える、そんな魅力なのではないだろうか。自分のことは自分でやる。人間が自立して生きていくのに、必要十分な環境。自分が自分を生きることを純粋に受け取れる環境。

3日目の朝には、株式会社巡の環の浅井さんに連れて行っていただき、明屋海岸の海に潜った。アワビやサザエがたくさんとれるのだそうだ。農耕を覚える前の狩猟民族の時代。野性的でかっこいい。

 

 
海士町にいると、人間力を試されるような気がした。「生きる力」っていう性質的なものではなく、人間にとってまず基礎基本となる衣食住において、自分が自分を十分に満たすことができるかどうか。そして、身近な人も満たせるかどうか。都会にいると、物理的にはいろんな機械が物事を人間に代わって処理してくれたり、時間的には24h営業のお店があって自分でない誰か知らない他人が動いてくれたりしている。それって本当に便利なのだろうか。人が求めることなのだろうか。機械が動いてくれることで、個の人間が動かなくなる。24h営業のお店で人が夜中動いてくれることで、違う個の人間にひずみが生じる。そしてそれは誰か知らない他人だから、人間の交わりがなくなる。
「知らないこと」は選べない。子どもが好きで、子どもの選択肢や可能性を広げることをしたい、と思っている中で、常に伝えていることだ。狩猟民族時代に、農耕することはできなかった。文明開化がなければ、西洋文化もなかった。時代が経るにつれ、「知っていること」は明確に増えている。ゆえに、本当は「知っていること」であるはずで、「選べること」であるはずが、見えにくくなってしまい、選べない「知らないこと」になってしまっている現状があるのかもしれない。
でも、きっと「ないものねだり」なんだろう。日本にいれば、ハワイがうらやましい。ハワイに行けば、日本が恋しい。その時その時の自分の素直な欲求に気づき、行動がとれるかどうか、人生に変化をつけ続けること、それが幸せなのだろうか。

【4. まとめ】

海士町には、
・まわりに流されない、自分の考えや主張に自信をもって貫ける人を育てる教育
・人間が人間らしく生きる場、自分で自分を生きる環境
・ものを大事に扱う文化、すごく身近なシェアリングエコノミー
・バックグラウンドも世代も越えて、互いに語り合い、関わり合える関係
があった。

 

「ないものはない」という海士町のロゴマークに象徴された、「無くてもよい」「大事なことはすべてここにある」という2つの意味を強く実感することができた。島民の、島民による、島民のための活動が行われている。3日間のツアー中も、本当にたくさんの方にお世話になった。物のおすそ分け、車での送迎、お時間いただいてのお話、誰もが町にあたたかく迎え入れてくださった。ありがとうございました。

 

 
2,400人の島だからこそ、お互いの強みや専門性を把握することができ、各分野が責任をもって推進される。訪れた人がUIターンで移住を決めるのも、「島で暮らしたい」という単純な生活圏の決定、受け身の姿勢ではなく、その人のもつ強みや専門性を自覚し自信を持ち、何かそれで「島に貢献したい」という強い想いがあり、島の人にも求められるからこそだと思う。
さて、私はこれから何を強みに生きていこうか?誰にどんな貢献ができる人でありたいか?非日常で得た気づきから、日常をアップデートできるかどうか、ここに未来はかかっている…。

 

この記事を書いた旅人

渡辺麻由。”子どもの選択肢や可能性を広げる” ,”国や世代を越えた信頼関係を築く”を人生のwillとし、平日はITベンチャーで多業界への法人新規営業、土日は小学生サッカーチームでコーチ兼審判、その他教育・スポーツ・留学などをキーワードに活動。興味関心分野には「考える前に動く」タイプ。通称まゆぽん。

 

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