itinerary tour in 川越 レポート1~大竹悠介さん

itinerary tour in 川越 レポート1~大竹悠介さん

気になるけど遠くに眺める街・川越

若い頃には何とも思っていなかったものが、歳をとってみてその良さに初めて気づく。そんな経験がある方は多いだろう。私の場合、それは「川越」という街だ。

川越市の南隣、所沢市生まれの私は、埼玉県西部地区で最も歴史のある公立男子校・川越高校で学んだ。もう卒業してから10年と少し経っているが、ずっと昔のことだったような気もするし、ついこの間だった気もする。
私の記憶の中の川越といえば、3年間を過ごした学校、その裏の本丸や三芳野神社、部活の演奏会で使った市民会館、それから繁華街・クレアモールなどだ。城下町としての「川越」は昔から格の高い存在として認知されていて、私の高校在学中から観光客はいたし、江戸・明治・大正期の建築物はそこにあったものの、あまり私の視野には入っていなかったように思う。

高校卒業後、何年も足を運んでいなかったと思うのだが、ある年の正月に思い立って初詣に出かけた。その時に川越の街の変化に気が付いた。古い建物におしゃれなレストランや雑貨店が入り、街としてエネルギーを放っていた。地方の映画館を回ることが趣味になっていた大学時代後半、川越のスカラ座にも初めて足を運んだ。古い建物のオーラもさることながら、市民が寄付を出し合って運営されている点にもストーリーを感じて興味をそそられた。そして、スカラ座の帰りに立ち寄った「あぶり珈琲」の店の雰囲気にも圧倒され、いつの間にか川越ファンになっていた。

高校時代には気づいていなかった街や古い建物の価値、それから喫茶店文化や映画文化に目が行くようになったから、街の違った側面が見えるようになったということもあるだろう。同時に、川越自体が変化しているとも言えるのかもしれない。近年では、リノベーションまちづくりでコワーキングスペースや飲食店もできていると聞き、なにかことが起こっていることは感じてはいた。

しかし、私は川越に住んではいないし、下りの列車に乗ることも稀。客を超える立場にはなれず、羨ましくも遠い存在として今日この日まで川越はあったわけだ。

街に触れることができたアイテナリーツアー

今回、川越でゲストハウスプロジェクトを担う西村さんに、川越のいまホットなスポットを案内してもらった。

コワーキングスペース、屋台のコーヒースタンド「COFFEE POST」、ファーマーズマーケット@蓮馨寺、旭舎文庫、恵比寿屋、ちゃぶだい(ゲストハウス)、水谷設計事務所、すずのや(今風な居酒屋)などだ。思いがけず、こだわりの帽子屋さんや旧花街の区画を見学することもできた。一箇所一箇所は、あっさりと見学しただけだが、どの方も気さくに語ってくださり、プレーヤーの多さを実感させられたツアーだった。

 

あえて1つ印象深かった場所を挙げるとすれば六軒町2丁目にある「川越市中央公民館分室」だ。

 

特別新しいスポットな訳でもないのだが、「いい感じ」の歴史のある場所の存在がその街の胆力だと思う。同分室は旧華族・久松伯爵邸として東京・三田に建てられ、小泉八雲の息子が住んだ時代もあったそうだ。昭和14年に川越の呉服商に買い取られ、現在の場所に移築された。古い建物だが、いまでも現役で使われている。この日もお花の教室が行われていて、管理人のおばさまが邸内に迎え入れてくださった。
玄関を入ってまっすぐに伸びる廊下がいい。

 

玄関を上がってすぐ左には6畳間が1つあるが、その先は庭に面したガラスの引き戸になっており、L字に曲がる突き当たりもガラス戸になっている。庭から斜めに入る初夏の日差しが邸内をやわらかくつつんでいた。なんと贅沢な公民館なんだろうかと思い、住民の方々を羨ましく思った。

・・・とまぁ、こうやってみると、自分は空間がすごく好きなんだな、と改めて気がつく。自分にとってのいい場所の条件は①自然の光がある空間、②よく使い込まれた空間。逆に無機質なオフィスや学校などは新しく清潔であっても好きではない。そういえば、川越高校で一番好きな時間は、校舎の最上階から見る夕方の紫色に染まる空だった。

知恵を蓄えてMY PROJECTで発揮する

町歩きをする時、自分はどの立場で見るのかということがとても大事だと思う。「旅人」は一期一会で何の責任も負わず、ある意味自由な目線で楽しんで街を見る。広い意味での「移住者」は、自らがその街の一員として関わる接点を作るために歩く。「視察者」は、自らがまちづくりに携わっていて、先進地から自分のフィールドに持ち帰るために勉強をしにくる。

私はというと「移住者」2割、「視察者」8割といったところだろうか。川越と所沢を包含するエリアとしての「西埼玉」を楽しむプロジェクトを展開するプレーヤーとしての意識と、所沢を舞台にリノベーションで文化拠点を作るプレーヤーとしての意識があるからだ。

1日程度では、川越の街のことも人のことも深くはわからない。だが、川越を知る入り口として貴重な機会だったと思う。「すずのや」でCOEDOビールを片手に語り合った時間はとても楽しいもので、街を楽しむ人間同士、これからもつながりあってkeep in touch しつづければ、一人では歩めない次元の境地に進めると思う。今回は、川越に関わる第一歩。これから、新しい「いろいろ」が生まれることにワクワクする。

 

熱海か北九州か、はたまた神山か西粟倉か、西荻か清澄白河か。いやいや、ポートランドかサンセバスチャンか。ここ数年、「地域」文脈が注目を集める中で注目を集めるスター選手がいる。そこには自由な発想で生活の楽しみを生み出すプレーヤーがいて、それぞれがそれぞれの心地よさを作っている。川越もそうなればいいと思うし、その輪の中に自分もプレーヤーとして入れたらいいなと思っている。

 

この記事を書いた旅人


大竹悠介。埼玉県所沢市出身。早稲田大学大学院にて「地方メディア組織の地域活性化事業」を研究。広告代理店勤務を経て、現在は短編映画祭の広報担当。パラレルキャリアでローカルメディア『西埼玉暮らしの学校』を主宰。

 

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