itinerary tour in 海士町 レポート5~猪上美代子さん

itinerary tour in 海士町 レポート5~猪上美代子さん

旅の前

中東での海外駐在から帰国後、神戸で開発途上国の行政官向けに地域振興や地方自治についての研修の仕事をして、早2年。日本で地域振興を進める地方自治体の優良事例について触れてゆくなかで、優良事例の注目株として海士町のことをネットのキュレーションサイトや雑誌でよく見かけるようになった。
鳥取で大学・大学院時代を過ごした私にとって、山陰地方は身近な存在だったけれど、注目株の海士町には行ったことがなかった。「ないものはない」のキャッチコピーや会社の面白い先輩も出向していてなんだか楽しそうだ。
自分の好奇心に火がつき、足を運んでみたくなった。研修の視察先候補としてみておきたい気持ちも重なり、会社の同期が行くと言っていたitineraryツアーに飛び込んでみた。

 

 

旅中

雨がもたらした最高に濃密な時間
9月7日昼から9日の朝にかけて海士町に滞在したけれど、天気が悪かったおかげで、予想以上に人と触れ合える濃密な時間が過ごせた。今回のitineraryツアーを企画くださった内山さんと内山さんのご友人の皆さん、そして(株)巡の環の浅井さんに、感謝しても仕切れない。1箇所1箇所で感じたこと出会った人、場所が濃すぎてまとまらないので、「すごいな海士町!」と思ったこと3つを軸にまとめて見る。それは美味しいご飯、魅力的な場所、そして人財だ。

 

①美味しいご飯

旅の醍醐味といえばご飯。今回私は旅行者としてこの町に来たので、短期集中的に名産物を食べたわけだけど、冗談抜きに美味しい!個人的にオススメだった3件でのご飯をとそれにまつわるお話をご紹介したい。
まずは菱浦港に到着した私たちを出迎えてくれた「船渡来流(せんとらる)亭」のイカ・岩牡蠣などの絶品の海鮮たち。特にこの町の名産物「いわがき春香」はぷりんとした大きな身としっかりした貝柱がなんとも美味しい一品だった。聞くところによると、「CAS(Cell Alive System)システム」という冷凍技術導入によって、鮮度を落とさずに食品の冷凍保存が可能になり、解凍に伴う食味の低下を大きく低減できるようになったからとのこと。そのため、残暑のころでも美味しくいただけるのだという。
この「CAS(Cell Alive System)システム」は、当時の山内元町長が第三セクターを設置して導入した3〜4億円もかかるシステムで、島の流通を大きく変えるインプットだったそう。

 

 
次に今回の旅のお宿・島宿「但馬屋」。こちらのお宿で提供されるものは、ほとんど但馬屋さんが育てたお野菜や取って来た海産物から作られている。お味噌も、お米も、卵も自家製。安心して食べられ、旬のものが揃っているので美味しい。裏に行くと20羽を超える雌鶏もいて、朝は鶏の鳴き声が目覚まし時計がわりになる。女将さんが歌ってくださる民謡も堪能でき、島を舌で・耳で味わうのに最適のお宿だった。

 

 

 
最後に、「島生まれ島育ち 隠岐牛店」。観光客がアクセスしやすい菱浦港前にある隠岐牛専門店兼レストラン。こちらでは「幻の贅沢丼」隠岐牛のローストビーフ丼をいただく。実は牛肉は胸焼けしてしまうので普段食べないのだけど、あまりの美味しさにぺろっと平らげてしまった。霜降りなのにすっと食べられる。とっても美味しい。

 

 
元は本土に運ばれて、神戸牛や松坂牛として育てられる黒毛和牛を、隠岐で成牛になるまで育ててから隠岐牛としてブランディングし、市場に出し始めた。本土から離れていて飼料代もバカにならなかったので高く売れる最高級和牛をめざしたのだとか。聞けば土木建設会社が立ち上げた会社・隠岐潮風ファームが生産しているとのこと。町を観光しているときにも放牧されている牛を見かけた。後から調べたら、行政の支援で放牧してよい土地を拡大してくれたそうだ。地元企業のチャレンジをできる形で支援する、行政の理想の姿が垣間見えた。

 

②魅力的な場所

海士町の2つ目のすごいところは、魅力的な場所がたくさんあること。
カルデラが海に沈んだ格好をした島前3島の周りにある美しい海や自然や後鳥羽上皇にゆかりのある隠岐神社はもちろん、この町の魅力は新しいものと古いもの、島出身者と島外から来た人たちが交わり関わることのできる素敵な空間があることだと思う。
今回訪問したあまマーレ、隠岐国学習センター、巡の環さんがオフィスを構える旧村上家邸宅、海士町図書館、アヅマ堂、コワーキングスペース喜多屋など。海士町図書館を除き、いずれも利用されなくなった保育園や古民家などが改装されて利用されている。
あまマーレには島にいるいろんな人が自分のやってみたいことを持ち寄ったり、使わないものをシェアしたりできる場所として利用されている。ビリヤードもできる「遊び場」や一緒にモノ作りができるコワーキングスペースもあり、元々の島の人やUターン・Iターンできた繋がりのない人たちも繋がれる「場」になっていた。色々な人たちが混じり合い、互いの強みや考えを持ち寄って一緒に何かできる余白のある「場」があることって、風通しのよい町を作ってゆく上で重要なんじゃないかな、と思う。

 

 

 
また、IターンやUターンで島に来た若い人たちのセンスがいいのだと思うが、リノベーションされた空間がおしゃれで居心地がいい。豊かな田園風景を眺めながら読書できる海士町図書館も、未来を担う子供達が集う隠岐国学習センターも、旧村上家邸宅も。そして今内山さんとそのご友人・大野さんが改装中のアヅマ堂も不思議な居心地の良さがある。きっと今後もこんな魅力に溢れた空間に見せられた人が惹きつけられてくるのではないか。そして面白いコラボレーションが生まれるのではないか?そんなワクワク感が湧いてくる場所が海士町にはあった。

 

 

 

 

③町をつくる人財

海士町の大きな資源は「人財」だと思う。人口2,400名程度の小さな町だけど、この町を愛し、この町の未来を真剣に考える人たちがいる。そして離島というアクセスの悪さを超えて、その熱意やアクティブな風土に惹かれ、この町に多種多様なバックグラウンドや能力をもった人たちが集まってくる。そんな良い「人の循環」があるように思う。
島前地域にある唯一の高校・隠岐島前高校。10年前、少子化が原因で人学年の入学者数が30名を下回り、廃校の危機に晒された。ただでさえ学力の高い学生は、中学卒業とともに本土の進学校に進学して島からいなくなる。子供に対して仕送りしながらの生活が厳しくなってくると、家族も海士町から本土に移り住んでしまい、人口が減少するきっかけとなっていた。この状況下で高校がなくなれば、高校生の子供とともに家族ごと本土に移住する住民が増えてしまい、人口の急激な減少、ひいては満足な行政サービスが提供できず、町は財政破綻してしまうかもしれないという危機感があったという。
そこで、親が行かせたい・子供が行きたいと思えるような魅力的な学校づくりが急務だと、行政が教育改革を始めた。島には人材に限りがあるため、市役所の職員が本土や首都圏に足を運び、出前授業をしてくれる人材を探し、海士町に来てもらっていた。その中の一人が隠岐島前高校魅力化プロジェクト初代コーディネーターである元ソニーの岩本さん。岩本さんのご友人で、出前授業のために海士町へ訪れたのがきっかけで移住された人財の一人が、今回お会いできた現在の隠岐国学習センター長の豊田さんだった。

 

 

 

もともと首都圏で人材開発事業に携わられていた豊田さんは新社会人向けの研修や子供向けの出前授業の講師などされて活躍されており、島の子供達に学力だけではなく実社会で生きていける能力を身につけて欲しいと考えられてこの町に来た。町が作った公立塾「隠岐国学習センター」でも、社会課題を解決する能力を養えるような研修をしたかったそうだが、地元のニーズはまず卒業後大学に進学できるだけの学力を身につけさせることだった。そのため学校にも協力してもらい、連携しながら学習方法を指導し、少しずつ実績を積み重ねた。何年もかけて卒業生の半数が大学進学できるところまで持って行った。子供達の変化を見て、周囲の住民も信頼を置いてくれるようになっていき、今では元々取り組みたかった社会課題解決能力を醸成する取り組みも始められている。センターに訪問した際の生き生きとした島前高校の高校生や自立的な卒業生の方をみると、島の将来だけでなく日本の未来を担う人が着実に育まれているように思えた。
また、今回のツアー中、多種多様なバックグラウンドを持つ人たちが集まっているなと感じた。地元のアクティブな行政マンの方、デザイナー、元大学職員、人材育成のプロ、出版社の社長、IT技術者の方などなど・・・。みなさんそれぞれの目的や熱意を持って、この島に移住して来ている方達で、魅力的な方ばかりだった。そんな人たちにお話を伺うと、郷土愛溢れた海士町の方達、そして海士町の社会課題に真剣に取り組んでいる方達に口説かれて来た人たちがいることに気づく。海士町の面白いところは、海士町に関わりを持ちたくなるような巻き込む力のある方、良い意味で「人たらし」能力の高い方達がたくさんいることだと思った。

 

 

旅を終えて ~元気をくれる町・海士町~

天候には恵まれなかったけれど、本当に濃密な時間を過ごせ、海士町に魅了された旅になった。
ちょっと仕事っぽい視点での気づきは、海士町が元気な自治体になっている要因だ。これは町の再建に向けた山内元町長のリーダーシップと、その思いに共感した町役場の方達の行動力・実行力、そして島の未来を主体的に考える住民の方がいたことが大きかったのだろうなと思う。市役所の方からも役所は「住民のための総合サービス商社」という言葉を聞き、島の経済活動を適切にサポートする行政のあるべき姿が海士町にはあるのだと感じた。
仕事で途上国の行政官向けに地方自治における自治体のあるべき姿として大分県に研修で訪問する機会があったが、大分の一村一品運動が成功し、経済発展に繋がったのも、行政のリーダーシップと行動力、住民の主体的な取り組みを適切に行政がサポートする体制があってのことだった。一村一品運動の先駆けでもある大山町も、元は都市までのアクセスが良くない中山間地域に位置する貧しい山村だったが町長のリーダーシップと行動力と実行力のある役場職員、住民の変わろう!というオーナーシップが経済振興の火をつけた。
また、当たり前だけど、外部から来た人間が何か始める前には、まず地元の価値観を理解し、溶け込み、仲間を作ることの重要性も感じた。学習センターの豊田さんのお話を伺って、まず町の人の価値観を理解して目線を合わせて行かないと信頼されない。そして外部から来た人の価値観の押し付けだけでは、理解されないし定着しない。そして同じような話を、海士町に出向している会社の先輩・高田さんからも伺った。これは、中東に駐在している時に、その国・町に課題を解決したいときにも共通している。万国共通なんだなと改めて感じた。
海士町は土地や人との繋がりもなく居住できる便利な都会とは違い、離島というアクセスに制約のある立地にあり、コンビニもない不便さもある。そのためお互い助け合って生きて行くのが当たり前。だから周りの人とも自然と繋がりチーム海士町として一致団結できるように感じる。また、町が危機的状況に陥って来た歴史があるため、島の未来を真剣に考え、語り合い、試行錯誤する風土がある。
そんな海士町の人たちの気風に刺激を受けて、そこに巻き込み力に優れた方たちもいらっしゃるのもあり、Iターンでこの町にやって来る人が後を絶たないのではないだろうか。
今回の旅を通じて、今の海士町を形作っている様々な人の人生や考え方を垣間見させていただいた。その中で感じたのは、やりたいことや目的を明確に持って、熱意をもって行動していく人たちはかっこいいなということ。
私自身、どこか一つの場所に移住して地域振興に取り組むことにも関心はあるけれど、まずは今の仕事を通じて、開発途上国の方たちの国づくりに熱量を注いでいきたい。今回出会った皆さんのようにやりたいことをさらに研ぎ澄ませて、周りを巻き込みながら熱く生きてみたい。ゆくゆくは今回出会った皆さんとも面白いことができたらなあと思う。青臭いけれど、大事な思いを改めて呼び起こされ、元気もいただけた貴重な経験になった。

 

この記事を書いた旅人

猪上美代子(いのうえ みよこ)。大阪府出身。学生時代は乾燥地農業・土壌の研究に没頭。卒業後、国際協力機構(JICA)にて開発途上国におけるアジア諸国やパレスチナの農業農村開発に従事。 現在は神戸の支所で、途上国の行政官向けの地方行政や教育分野の研修の企画・運営業務に従事。関心事項は、地方創生・農業・IoT。面白い町づくりや地域振興をしているところに旅をするのが好き。

 

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