旅を終えて

旅を終えて

旅が終わろうとする時、この時間を振り返ると、単なるあっというまのホリデーではなく、非常にあたたかで重みのある心地の良い実感を持つに至った。それはおそらく、私にしては一つ一つ、一人一人と向き合った時間が長かったからだろう。

 

 

少々唐突な話になるが、私がこの数年間考えていたテーマの一つが「わたし」と「わたしたち」の関係である。
(混同を避けるため、舩橋個人:私と表記、概念としての1人の人間:わたしと表記します。)

 

東北で被災地支援をしていた時のことである。
他所からきた私にとっては、その場所に暮らしたり、その場所出身の方は皆大なり小なり被災をされているという認識でおり、いまもそう信じているが、実際は、そこには何層もの「わたしたち」が存在していた。
当日現地にいた/いない、ご自宅に損害が出ている/出ていない、ご家族や近しい方が亡くなっている/いない、それによってその輪郭は変わっていく。
これらは単なる区別ではなく、話ができる・できないという意味においてはコミュニケーションの層の別とも言える。そのベクトルが内側に向いている時、本当に同じ「わたしたち」は存在しないのではないか、と思うようになった。

 

被災地に限らず、「わたしたち」を探す行為は今日もどこかで起こっている。
あなた方とは違う、「わたしたち」。便宜上は必要だけど、ここに答えを求めても解決しないことは多い。
それよりも、もっと関係性を咀嚼したい。「わたしたち」でくくれる程、人や社会は単純ではない。

 

とにかく遠いところとして選んだ旅先のアフリカの人々は、私がどこからきたのか、何を信仰し、仕事は何をしているのか、家族構成、学歴などを知らない。というか多くの人はそうなのだ。彼らは彼らの毎日を送っている。そして、私は今ここにいる「わたし」でありさえすればよく、過剰な振る舞いが求められているわけでもなければ、「わたしたち」を語りすぎる必要もない。この旅の一番の収穫は、私が「わたし」として存在でき、出会った人一人ひとりの存在を相手として受け止めることができたことにあると思う。私はこの感覚をだれもが持てることが、自分の暮らしたい世界の在り方だと感じるようになった。「誰もが安心して『わたし』として存在することができる世界」は、自らと同じように、相手もそう存在できるように支えあうことを含んでいる。一人ひとりとして認め合う、とてもフェアな世界だ。

 

影響を及ぼし及ぼされる中で生まれる摩擦や、同じこと、違うことに目を取られ、多様でなければ、寛容でなければと思い詰めることで世界への視界は狭小になっていく。
一人と一人というスケールで世界を見直したとき、彼、彼女がその人らしくあるように、私が私らしく存在することが、相応しいコミュニケーションなのだと思った。そして、その積み重ねが世界なのだと感じた。

 

彼らが世界のどこかに存在し、日常を送っていることの喜ばしさや、彼らも私も自分の仕事、人生に誇りを持って生きることの尊さなど、世界にある「わたし」にまつわる一つ一つの嬉しさに気づき、それを支え、時によっては取り戻すために奔走する人生を送りたい。今はそう思っている。