旅前の記録

旅前の記録

ここ数年感じている、自分へのはがゆさ。心が満たされている感を感じにくくなっている。現状への不満なのか、将来への不安なのか、きちんと今に向き合えていないからだろうか。
節目ごとに、ステップを昇ってはいる。充実感や達成感を得てきてもいる。それなのに、なぜかいつも何かが足りないような気がしている。

itineraryのことを知って、まず、「書いてみたい」と思った。これまで簡単な日記をつけたりしてはいたけれど、旅行にでたときのことをきちんと記録として残したことがない。
自分の思っていることを書き出すことはやってみたいと思っていた。SNSにもあまり自分の事を発信できずにいる。どう、思われるかを考え始めると、とても時間がかかるし何が大事なことかわからなくなってしまう。本当に言いたいことが結局言えずに、何かを隠したような文になってしまう。他人の目線で自分を語るのではなく、私の感情に素直になりたいと思い始めている。

旅らしい旅に、でていないかもしれない、と思った。これまでの旅のハイライトが、頭の中を流れていく。ワーキングホリデービザで滞在したフランスは、私にとって特別な国になった。この滞在の前と後とで、私の人生は結構な方向転換をした。フランスに関わる何かに携わりたいと、ずっとぐるぐるしている気がする。

旅前のセッションで、6月に行った福島、清山飯坂温泉芸術祭の話をした。仕事でお世話になった方のご実家が芸術祭の舞台になっている芸術祭。行って良かった。それまで、意識的に目を背けてきたことに気付けたから。私には何もできないから、悲しくなったり、怒りが湧いてくるだけだから、マイナスの感情を持ちたくないから。でも、アートというものはごく自然に、そういう心の壁の隙間から入ってきて、少しずつ意識に馴染んでくる。そうやって馴染ませておいて、普通に思考のルートにのせてくる。油断していた。福島や震災のことについて、本当はもっと知らなきゃいけないんじゃないかと思い始めている。

アートの力って、こういうことなんじゃないだろうか。
アートを生業としているでも、造詣が深いわけでもない。福島にこれといって縁もない私が行っても、大丈夫だろうか?‘何で来たんだろうね?’そう思われるのが怖かったのか、行くまでの決断にそこそこの時間を要した。結構、この感覚に似た理由で物事を判断することが多い事に気がつく。芸術文化関連の仕事をしたいと思いつつも、専門の学校に行っていないことや業界の経験が足りないことがいつも不安で、’見てもわからないのに来た’と思われることも怖かったのかもしれない。そこをつかれると途端に機嫌が悪くなることを、最近自覚している。やっぱり、他人の目が私の基準になっている。

「人からどう思われるかを、いったん保留にしてみる」「物事に対して、影響力を及ぼすことにやりがいを感じる」
事前セッションで得た私のキーセンテンスはこの2つ。

そうして、今回の旅が始まる。私の話を延々ときいてくれたふたりからお勧めされたのが、諏訪にあるマスヤゲストハウス。気になっていた場所だった。リビセンも。
セッションで答えられなかった質問がある。
「100年後、あなたはどんな伝記を書きますか?」
私のミッションは、なんだ?