itinerary tour in 海士町 レポート1~笠原広雄さん

itinerary tour in 海士町 レポート1~笠原広雄さん

大事な友人が移り住む島

2009年豊田庄吾さんが移住した。
2014年大野佳祐が後を追うように飛び込んでいった。

旧友2人の住む海士町は2015年の夏以来の3年ぶり2度目。

”はじめての海士町”ではないけど、タイミングも合ったし、
ツアーメンバーと庄吾さん、佳祐との新たな絡みも期待して混ぜてもらった。

3年ぶりということは当時挨拶した高校生たちはもう島にはいない。
1周入れ替わってみて高校生/町の雰囲気が変わっているのかとか
日本の縮図と言われてきた海士町を先頭を走ってひっぱってきた町長の交代を選挙なしでバトンを渡した。
この先もこの島の未来は、日本の未来も担っているのか。
そんな姿を探しつつ、久々の再会を楽しみにフェリーに乗り込むことにした。

旅のはじまり

海士町への玄関口、七類港。広島→米子→境港と辿ってたどり着いた。

 

合流する直前このツアー代とあまり変わらないイヤホンを落とした。方々に電話をかけまくっている状態で乗船。落ち込む初対面。自己紹介タイムも話半分上の空。電話が鳴らないかなぁと目を落とす時間が流れる。でも、同じ方向を向きつつ、タイプの異なる7名。良い時間の使い方ができるメンバーになりそうなのは把握。

結構な高波に揺られながら、2時間50分。菱浦港に着く。
最初に迎えてくれるポスター「ないものはない」
本来受け取るべきメッセージは違うけれど、、今の心情にぴったり。
「はい。諦めます。。」
そんな感情で2度目の上陸を果たす。

 

島で育った者の想い

 

あまマーレスタッフ、バスの運転手、大工など島育ちの人と出会う。

結婚して戻ってきて、島で子を育てる。
親都合のタイミングでのUターン。その後も残り続ける。
どこの町にもある光景なのかもしれないが、
行政や環境について自分ごととして語ることができる人が多いと感じた。
離島という物理的移動の制約があるからこそ生まれている生活濃度の濃さ。

でも他方、冷静というのか客観視というのか足元をしっかり見ているのか。
地方創生の先頭といわれているのに、
移住”ブーム”へのいつまで続くのか、この島はこのまま残るのか。という不安は地元のどこかにある思い。
その解消には移住者の粘り強さと、もともと持つ海士町の許容と団結の心のバランスだと思った。

スナックと祭りの果たす役割

 

島にあるスナックが果たす役割。ここでのやりとりが町を動かし、翌日には広まってる。重要な社交場。
そんな場所で、ひさしぶりに隣に座った庄吾さんから祭りの露払いを担った話を聞いた。
祭りに懸ける島のそれぞれの思いと伝統を各方面から叩き込まれ、戸惑いながらもその重責を無事果たした。
島の一員として迎えられていることを感じるアツい話。

最後に「自分も教えたくなりましたか?」と短く聞いた。
「いいとこつくねぇ」と一言。そして、ひと間あってから、「もう一回やりたいかな。」と返ってきた。
もう一度舞いたい。受け継ぐにはまだ満足していない。
移住して約9年。ここまでかけてきた島に溶け込む想いを勝手に感じた。

よく分からない組み合わせで進む小さな改革

ツアーメンバーとちょっと離れて、
何がテーマかよく分からないままアヅマ堂での打ち合わせに混じる。

 

 

ホテルのトップと普段は全く別のことをしている数人が集い、工事中の民家の片隅でひっそりと、ホテルのブランディング・文化の作り方、伝え方の議論をやっている。普段図書館司書の彼女は、ホテルのみならず島を巻き込んだ視点を切り出した。簡単な自己紹介して傍聴しているつもりだったのに議論に混じってしまった。
こういう小さな種が、各議論を積み重ね、こういう小さな企てがこの島の原動力になっているんだろう。
スナックのママが昼間はタクシーを運転している複業体制なんていうのもいい感じに社会をかき混ぜる要素にもなっている。

 

夜な夜なアヅマ堂に集う会。旅人、移住者、地元それぞれが集う。島の未来をあちこちで語って賑わう。
このごちゃまぜなメンバーがいる場で旅人から移住者へと変えてしまうマジックが働く。

想像できる作業スペース

3年前と比べて新たなスペースが増えている。

教育分野が引っ張ってきた印象だけどちょっとずつ他の業種の人たちも増えている印象。そして働くスペースもちょこちょこと増加。島の生活を持続可能にしていくには重要なチャレンジ。
移動に半日以上かかるし、海が時化れば帰れないし、ちょっとリスクを感じてしまう部分もあるけれど
期間限定リモートオフィスとして、こもって集中してなんてのもできるはず。
あの人とかあの企業とかすぐやれそう。ここで生まれる新たな事業も楽しみだ。
なんて想像が容易に顔も一緒に浮かんできた。ちゃんと島内には光回線が巡っているし、整うからぜひぜひ。

島の田の源

巡の環 浅井さんに連れられて山奥の一本道の行き止まり。
車を降りて土手を上がると目の前に手掘りのため池。

 

 

振り返ると広がる田んぼ。
ふとスマホでこの地点の衛星写真をみる。

 

 

山から港まで連なる田んぼ。
高低差を利用し、稲作のために水の有効活用。先代からの知恵と遺産と歴史。
これが守られてきたからある豊かな農業。
地元の人もなかなか知らなさそうな島の重要なもの。ただ観光マップを眺めていただけではわからない。

農漁牧を食す

 

島に湧く水。それを貯める先人の努力。島を縦横無尽に走り、人が落ちるたびに柵が増えていく用水路。
それらがおいしいお米をはじめとする農作物を作る。その昔、本土の飢饉があれば島から米を輸送したという。
もちろん海はすぐそこだし、牛だって成牛まで育てるようになった。
産地が近い分美味しくいただける。給食だって県内有数の地産地消率の高さを誇る。

島の最後は、港で牡蠣をじゅるり。ビールも飲んで揺れるフェリーもぐっすり。

旅ならではのハプニング

 

荒波の洗礼を受けつつ、米子に着くと大雨で乗車予定の寝台列車がまさかの運休。
高速船やフェリー、飛行機の心配をしていたのに自分のことは完全に安心して想像すらしてなかった。
急遽代替案を探すにも、岡山、大阪方面にも抜けられないし、飛行機も満席。しかたなく深夜バスでの帰京。
窮屈な席で2時間おきにある休憩ごとに目がさめるショートスリープを繰り返しながら、海士町と東京の物理的距離を感じる。一方、朝には東京に着くから行こうと思えばいつでもどうにかなることも実感する。

トップでありつづけるチャレンジャー

 

先頭を走る使命とプレイヤーの世代交代。ここから描くものがその先、次の期を作る大事な時期。
あいかわらずきちんと挨拶する高校生たち。その魅力化が始まった世代の先輩たちがそろそろ戻ってくることを考える時期にもなる。
これから仕掛けることが、ますます面白く教育以外の分野でも注目を集めていくことになるだろう。
その潮はもう動き始めている。なにか自分にも関わりしろがあるように思う。
そして、たぶん移住する知人も増えるだろうからまた会いにふらっと戻ってくることになってるんだと思う。

この記事を書いた旅人

笠原 広雄(かさはら ひろお)
東京生まれ育ち。学生時代からアジアはじめ各地を移動し、ファインダー越しに見るキラキラした何かに惹かれてる。
その縁もあってバングラデシュで、診療所を支援したり、140人が学ぶ小学校を建設・運営したり。いえば仕送りと里帰りみたいな感覚。
SEからなんでもIT屋とか比較的裏方・整理・通訳役。今はフリーでのんびり気味。
そんななか祖父母の介護などを通じて行政・教育の難しさと奥深さを感じるこの頃。
プロフィール写真は2001年撮影でだいぶ変わってしまったけど、このツアー帰宅直後に亡くなってしまった恩師との1枚より。彼に捧げて。

 

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