itinerary tour in 海士町 レポート3~井口邦洋さん

itinerary tour in 海士町 レポート3~井口邦洋さん

旅前:「海士町」が「海士町」である所以を探しに

「海士町」の名を初めて耳にしたのはいつのことだっただろうか。

今ではもうはっきりとは思い出せないが、おぼろげな記憶を辿ると、おそらく、数年前に「海士人」というガイドブックの存在を知ったことがきっかけだったような気がする。

ただし、その時の僕の感想としては、「へ?、『人』に焦点を当てたガイドブックなんてものがあるんだ。面白いこと考えるな。」、まあ、その程度のもので、「海士町」についてはそれ以上でもそれ以下でもなかった。

まさか自分がその小さな町に、ここまで大きな関心を惹きつけられることになろうとは、想像すらしていなかったように思う。

ところが、今僕はこうして実際に海士町を訪れ、旅の感想を書いている。

大げさかもしれないが、人生何がどうなるか、わからないものである。

 

 

「知っているようで、何も知らない町」。

ここ数年、僕が「海士町」に対して抱いていた印象だ。

上述のとおり初めて海士町の存在を知って以来、その名を耳にする機会は年々増えていった。ある時は地域活性化の文脈で、またある時は移住の文脈で、切り口は様々であったが、特に最近はその機会が多くなった。自ら積極的に海士町の情報を取りにいったからというよりも、自身の関心(地方創生、地域活性化、等)に従って行動していたら、いつも「海士町」がセットになってついてくる、そういった感じだ。

そして、皆一様に口にするのは、「海士町はすごい。海士町は面白い。」ということ。

気がつくと、自分もいつの間にか、「海士町はすごい。海士町は面白い。」などと、したり顔で人に語るようになっていたりもした。

しかしその実、僕は「海士町」について、ほとんど何も知らなかった。そこがどのような場所で、そこにどのような人々が暮らし、そこで何をしているのか・・・自分の言葉で語れる事は、何一つなかった。

だから僕は、海士町に行くことにした。海士町が海士町である所以を探しに。

 

 

旅中:「ごちゃ混ぜ感」と「幸福感」

書物としては面白みも何もないが、あえて結論から伝えたいと思う。

今回の短い旅を通じて僕が感じた(理解した)海士町が海士町である所以、それは、「ごちゃ混ぜ感」である。

人と人、地元民と移住者、大人と子供、人と自然、住民と観光客、それら様々なモノの垣根が曖昧で、全てがごちゃ混ぜになっている。そんな感覚。

もちろん、それはごく一部の現象かもしれないし、それが海士町の全てだというつもりはない。

しかしながら、間違いなく海士町のパワーの源の一つに、この「ごちゃ混ぜ感」があることを、僕は確信した。

そして、それは町のパワーの源である以前に、人々の「幸福感」の源なのではないか、そんな風にも感じた。

いくつか、僕が島で出会った「ごちゃ混ぜ空間」の例を紹介したいと思う。

 

旅1日目のこと。

僕たちは、島の学習センターを訪れた。町が子供達の学力向上と人間力向上のために設立した学習塾だ。

僕たちがセンター長の話を車座になって聞いているとき、ボランティア活動のためにたまたま島を訪れていた島外の大学生3人組がやってきて、彼らはいつの間にか僕たちの輪に加わり、一緒にセンター長の話を聞いていた。

その数分後、今度は、こちらもたまたま島に里帰りをしていた島の高校の卒業生がやってきて、気がつくと彼もまた僕たちの輪に加わり、彼はいつの間にか話の中心になっていた。

僕たちが学習センターに着いてものの数十分で、センター関係者、大学生、卒業生、観光客(僕たち)が一緒になって会話する「ごちゃ混ぜ空間」がそこにできあがっていた。

 

旅2日目のこと。

島で活躍するとある企業の方(この方も移住者)が、親切にもボランティアで僕たちに島の観光案内をしてくれた。そしてその隣には、来春から小学生になるかわいらしい女の子がくっついていた(娘さんだ)。

外部から来た大勢の大人たちの中に、小さな女の子が一人ちょこんと混ざっていることがごく自然な空間。

それだけでも僕は、なぜか満ち足りた幸せな気分になっていたのだが、今度は急遽、その方の知り合いの島の漁師さんの自宅にお邪魔することになった。齢80を超える元気な老夫婦だ。

急な訪問に関わらず、おじいちゃんとおばあちゃんは笑顔で僕たちを迎え入れてくれて、たくさんの昔話や島の話を聞かせてくれた。

決して広くはない日本家屋の畳の間には、おじいちゃん、おばあちゃん、僕たち、女の子、お父さんから成る「ごちゃ混ぜ空間」ができあがっていた。

 

 

旅2日目の夜のこと。

皆で古民家にてワインを楽しむワインバーなるイベント(いわゆる、ただの飲み会である笑)が開催され、やはり島で活躍中の移住者の方のつながりを中心に、総勢15名以上が集結した。

出版会社の社長さん、元教師で現漁師の方、町役場の職員さん、県外からたまたま島に来ていたNPOの方等々、一人一人のバックグラウンドや個性をあげたら本当にきりがないぐらい、見事に多様なメンバーが集まっていた。

会が始まって1時間も経つと、あちらこちらで大小様々な輪ができ、ある人は大人数でお祭り騒ぎをし、またある人は1対1で真面目に人生相談をしていた。

極めつけの「ごちゃ混ぜ空間」がそこにはあった。

 

 

そして、「ごちゃ混ぜ」という現象そのもの以上に僕にとって印象的だったこと。

それは、そういったごちゃ混ぜの空間では、みんなが楽しそうで、みんなが笑っていたということだ。

 

 

 

旅後:「人々の距離」と「人々の幸せ」との関係

硬いタイトルになってしまったが、このような濃密な「ごちゃ混ぜ体験」をしてしまうと、どうしてもこのようなことを考えてしまう。

昔、僕がまだ大学生だった頃、東南アジアのとある小さな村を訪れた時にも感じたことだが、久々にその時の感覚が蘇ってきた。

「人々の距離」と「人々の幸せ」との間には、一体どのような方程式が成り立っているのだろう。

おそらく、他人との関わりを最低限にして、純粋に自分のやりたいことだけをやると、それはそれで、ある程度は満ち足りた生活になるのかもしれない。都会での生活が完全にそのような状態にあるとは言うつもりはないが、都会生活の究極の姿は、そのようなものではないかと僕は思う。

一方で、海士町で感じたような「ごちゃ混ぜ社会」はどうだろうか。

たぶん、わずらわしい事、面倒くさい事もたくさんあるのだと思う。人間誰しも、時には一人でゆっくりしたいし、誰とも会いたくない日だって、そりゃあある。

しかし、そういったわずらわしさ・面倒くささ以上に、人は人と触れ合うことで、混ざり合うことで、その喜びや幸せを、一人でいるときの何倍にも感じることができるのではないだろうか。

あの空間のみんなの楽しそうな顔を見ていると、そして、その時の自分自身の満ち足りた気持ちを考えると、旅を終えた今、改めてそのように感じざるを得ない。

そして、そのような人と人との繋がりが、絆を生み、パワーを生み、幸せを生み、それがまた人々を引きつけるのではないだろうか。

仮にそれを「幸せの循環」と呼ぶのだとしたら、海士町でそのような循環が完璧に成り立っているのかどうかまでは僕にはわからないが、少なくとも、そのような循環の力や可能性を感じさせてくれた町であった。

 

 

今後のこと:第2・第3の海士町を目指して

最後に、僕は今年、約9年間にわたって携わってきた国際協力の仕事を辞め、来年からは、地元九州のとある田舎町で、行政職員として働く予定だ。

「九州に第2・第3の海士町を。」、これが、今回の旅を終えた今、僕が密かに抱いている野望である。

しかしそれは、海士町でやっていることをそっくりそのまま真似することを意味しない。地域の課題ややるべき事は、その土地土地で多様だからだ。

ただし、一つだけ確信していることがある。それは、海士町で見たような「ごちゃ混ぜ社会」を自分が関わる場所でも作っていかなければならないということ。

「幸せの循環」に従えば、そこからパワーが生まれ、幸せが生まれるから。

第2・第3の海士町への道はまずはそこから始まるのだと、今考えている。

 

この記事を書いた旅人

井口邦洋(いのくちくにひろ)。福岡県福岡市出身。国際協力機構(JICA)にてカンボジア、バングラデシュ等への政府開発援助(ODA)業務に約9年間従事した後、現在は政策研究大学院大学(GRIPS)にて「地方自治体の国際化政策」を研究中。関心テーマは「地方自治体×開発途上国」。

 

itinerary tour in 海士町TOPに戻る